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2007年5月 8日 (火)

メモリアル-腎細胞癌発見4-母への告知-

さて、連休明けて、ハローワークプラザに行ってみました。連休前に派遣登録して気に入ったお仕事にエントリーした分ですが、まだ結果出てませんでした。駄目だった場合のために新しく出ている求人検索をして、窓口でその求人内容の詳細を確認。

その後、ここ最近腰痛が酷くなったので整形外科へ。一昨年の11月腎癌発見のキッカケになったぎっくり腰、随分よくなってたけど、中国から帰国の際に大きなスーツケースを抱えたから、その時から調子がよくない。帰国後もあんまりよくなかったけど、ここ1週間酷くなったので、諦めて整形外科へ。1年ぶりでした。ここの整形外科の先生、声がいい。がっしりタイプですが、数年前は割にばらんすよい体型・・・が、だんだん行く度に巨大化してきた。お腹が・・・今回座っているの見たら殆ど大黒様。整形外科の先生がこんなんでいいんだろうかとちょっと思ったmhk。さて、相変わらず腰回りに筋肉がついてない体型のmhk・・・腰痛は体質だねって言われる。そういう体型の人はなりやすいんだと以前言われたとおりのことを言われる。椎間板が少し狭くなっている箇所があるそうで、そのせいだと。痛い時は無理しないで、痛みが和らいできたら腹筋を鍛えなさい。少しリハビリに通いなさいと言われる。今日リハビリで腰を20分ほど温めて、ウォーターベッドで揺られたら、酷い痛みは取れた。よかった!一番酷い痛みって、処置してもらったり、リハビリでとれるけど、慢性化した痛みってリハビリ行ってても変わらないから嫌になるんですよね・・・。地道に腹筋鍛えて体質改善するしかないですね。サボってたこと反省~

反省したところで、思い出話の続きです。

2005年12月5日(月)
病院での検査で転移がなく、腎臓に限局した癌であったことがわかった。

帰宅後、

母:どうだった?
mhk:腎臓に腫瘤ができているから右腎臓摘出することになった。腎臓は2個あって、それぞれ20%くらいしか働いていないから、1個取っても大丈夫だって。一流のスポーツ選手だって腎臓1個しかない人いるしね。手術は20日で、19日から10日くらい入院。腹腔鏡の手術だから回復早いって。(←2003年7月にmhkが卵巣嚢腫-良性-の手術を腹腔鏡でしているので、我が家では腹腔鏡は既知なのだ)
母:そう、お任せするしかないね。で、腫瘤って一体何なんだろう?
mhk:まぁ、早い話が癌だね。画像診断で、組織検査は術後にするから確定では無いけど、造影剤投入した画像診断で十中八九癌だって言われた。
母:何であんたが癌にならないかんとかね。でも、なった本人が一番辛いんだもんね。
mhk:原因はわからないんだって。でも、食べ物が悪いとか、生活習慣が悪いとかそういうことじゃないって先生に言われたよ。
母:仕方ないね。

mhkは2人姉妹。3歳下の妹は獣医師、妹の連れ合いも獣医師。どちらも青年海外協力隊経験者。年齢が少し離れているので協力隊派遣されていた時期はずれている。結婚後も連れ合いがJICAの専門家やシニア海外ボランティアで中南米に派遣され、妹が随伴家族として同行。帰国後福岡に移り、2005年当時はmhkが両親と住む家の近所に住んでいた。今は同じ市内だけどちょっと離れたところに引っ越した。

当時妹は第二子がお腹にいた。予定日は12月27日。mhkが入院することになっていた病院の産婦人科で出産予定。

因みに:

mhkの入院:12/19~12/29
妹の入院:12/26~1/4

妹の入院は早くから決まっていたけど、mhkが後を追って?同時になったわけね。因みに姉妹揃って同じ病棟。妹4F、mhk3F。

妹の出産に際して、母が上の姪(当時4歳)を預かることになっていて、mhkも子守の戦力としてアテにされていた。が、妹だけでなくmhkも入院。母の受難である。ごめんねえ・・・お母さん。貧乏くじ引いたのは結局お母さんだったよぉ~。

話し終わって、しばらくしたら、母が妹のところにmhkの病気の入院のことを話しに行ってくると自転車に乗って出かけた。

母も娘が癌になってショックだったんだろうね。妹に聞いてもらいたかったんだと思う。
その後、母が『こんなに早く初期のうちに見つかったんだから、あんた、案外長生きするかもね。』と術前に話したことがあった。

これ聞いて、ちゃんと完治すると説明したのに、『癌』という病気のインパクトの大きさにmhk驚く。mhkはネパール派遣をJICAに許可してもらえないかもと思って、ショックを受けて、悩んだが、医師の説明を初めて聞いた時ですら自分が長生きできないとはみじんも感じなかった。だって、お腹切る話を美容師が髪の毛切るみたいに普通に話してたし、クリニックで健診してくれた医師も放射線科の医師も泌尿器科の担当医にしても、どの先生と話をした時も自分がちゃんと治療で健康体になれるということに疑いを抱いたりはしなかった。もちろん手術にリスクはあることはわかっていたけど。

その母の言葉を聞いて、一般の人(仕事の採用を担当する人、JICA等の海外派遣の人選をする機関の人も含めて)は、『癌』になった人間を健康体となかなか認めてくれないのではないかという不安がmhkの心のなかに生まれたのだ。そして、それは案外当たっていた。受難は治療していた入院期間より退院後であったのだ。

ともかく、母に話して、母が妹と父に話して、家族にmhkが腎細胞癌という病気で治療をしないといけなくなったことを知らせることができたというわけ。12/1以来医師に告知されて、家族に黙っていたので、一つ難関を突破した気分で、楽になった。あとは手術して取ってもらうことと治療して完治した後JICAにネパール派遣を中止しないでもらうように説得すること!その2点に集中すればいいやと決意を新たにしたのだった。

右腎臓とってもらうのはお医者さんがmhkが全身麻酔で何も知らないうちにやってくれることだからね。美容師が髪の毛切るようにお腹切って腎臓を鷲掴みにして取り出してくれるだろう~!!!

後になって考えたけど、mhkは結構簡単に考え過ぎていたようだ・・・手術を受けるコトに関しては、相当気楽に構えていたな。今思うと。

では、入院まで、どう過ごしたか、医師による家族への説明がどんなだったかは、また今度。

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