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2007年5月14日 (月)

メモリアル-腎細胞癌発見7-入院までの日々-

一昨日は髪を切りました。初夏らしくすっきりと。今週は泌尿器科に経過観察の診察に行ってきます。5月2日に受けたシニア海外ボランティア応募用の健診結果が今日出るので、それを持って行こうと思っています。

さて、2005年12月1日に腎癌という病名を医師に告げられて、検査した結果、5日には外科治療のみでよいと説明を受けて、12日に術前検査。これで19日から入院するだけ。20日が術日。

12月5日転移がなかったことがわかった後で、母に説明した後、今度は12月以降に入っていた予定のことで、いろんなところに連絡をしなければならなかった。

12月5日:JICAに連絡

  • 手術日程が突然入ったことを連絡し、東京での1週間の日本語教師対象の技術補完研修(12/16~22)が受けられなくなったこと報告。
  • 29日頃退院予定で、1月6日からの訓練参加には医師の許可を得られていること。
    → これに関しては手術が終わって組織検査結果が出ないとJICAも判断ができないので、手術終了後に連絡することになった。担当医師には12日の両親への説明の際に診断書をお願いした。(5月10日の日記参照)

12月6日:航空券とホテルのキャンセル
10日に大阪である第二言語習得研究会に参加しようと思ってたのだけど、翌日11日の朝から24時間家で採尿しなければならず、断念。旅行会社でキャンセル。
   
12月9日:引き受けていたレクチャーのキャンセル連絡

12月25日予定の、福岡で作っている福岡JSL研究会という日本語教育の研究会でのレクチャーを中止すると参加予定者に連絡(メール)

実は前のレクチャーを11月27日にしていた。その2日後の健診で引っかかり、そのまた2日後に癌告知・・・その時は参加者のみなさんにも『ネパール行ってきま~す!!』と言ってたというのに翌月の20日には右腎臓摘出なんだから、人生一寸先は闇。何が起こるかわからないものだ。

ドタキャンだが、いきなり癌になりましたって言ったら研究会のメンバーにビックリされると思い、体調を崩し、ドクターストップがかかったと説明しておいた。(← ドクターストップも何も入院中だから・・・ね)

12月12日~入院前まで:

1月6日に入所する予定のJICAの駒ヶ根訓練所宛に提出する書類書き
訓練所入所に伴う書類からネパール派遣のために必要な書類(任地に提出するための履歴書等々)
→ 術後JICAが派遣の可否を判断することになるが、行ける場合に備えて準備し、入院前に郵送。

これを準備するのは辛かった。ネパール派遣のために11月末で仕事を辞めたのに、辞めた翌日に癌告知。もし派遣中止になったら失業者。仕事を辞めていなければ単に10日仕事を休むというだけなのに。仕事をしていたら『癌』になったからといって仕事を辞めさせるなんてことは(長期療養が必要でもないし)ないが、新たに仕事を得る、派遣への応募をする場合、『癌』になったということが壁となるだろう。そして、不採用の場合、健康問題が原因か、スキル不足が原因かがこちらにはわからないわけだ。そういうことを考えると、治療自体よりも治療後の自分の人生のことが不安でたまらなかった。

その不安を吹き飛ばしたいために『絶対に入院長引かないで済むように治ってやる! 治ってネパールに絶対行ってやる!』と決心して書類作成に励んだ。入院前は、失業者になるかもという不安でいっぱいで眠れず、夜中に泣きながら書類を書いていたなぁ・・・。
そう、健診で初めてわかった病気って、自覚症状がない段階で早期発見で非常に喜ばしいんだけど、なかなか健康そのものの身体で自分が病人だと認められないのだ。

いきものは人間も含めて『痛み』を信号として自らの身体の不調を認識する。野性動物なら自分の体力が勝つか病気、怪我が勝つかじっと安静にして待つのだ。体力の方が勝れば生きられる。人間なら病院に行くけどね。

でも、その信号が感じられる前に病気ということを文明のおかげで知ることができても、身体や心が納得していない。理屈で知識としてわかっても、身体や心が不思議と言っているので自分の中で混乱しているのだ。そういう不安だった。

健診受けた20日ちょっと後には、もう手術を受けられるんだから幸運なことは十分理解している。悪性腫瘍でも病院のベッドが空いていないから待たなければいけない人が日本にもいるのだ。日本国中全ての患者が平等に治療を受けられるわけではない。地方によっては病院、医師不足な場所もある。そういって自分自身を説得、納得させようとしていたが、拒否する心もあって、苦しかった。

先生には12日の術前検診の後の診察(両親への説明)で、
『これから1あなたが気をつけることは、風邪をひかないこと。街中、映画館など人が集まるところに行く時はマスクして。あなたが風邪引くと手術の日程が狂うからね。』

手術室の使用のスケジュール、麻酔科医、執刀医などのスケジュール調整。1人の患者の手術に関わっている人はたくさんいるし、風邪引いて熱出して手術中止になると、後の調整も大変。それはわかるが、そう言われながらmhkは咳をしている先生を横目に心の中でこそっと(執刀する先生こそ咳治しといてよ。mhkは全身麻酔でな~んにもしないけど、先生が切ってmhkの腎臓鷲掴みにして取り出すんだから・・・。)とつぶやいていた。

入院前、失業への恐怖で不安で苦しかったが、今考えると、入院して右腎臓摘出することへの不安はあまり無かったように思う。医師による治療の説明には100%納得できるものだったし、なにしろ美容師が髪の毛切るようにお腹切る話をしていた先生の言葉は、そんなに特殊なことをするんじゃない!当たり前の処置をするんだって印象だったので・・・。

余談だが、この病院の産婦人科の先生が看護師さんに話していたこと(入院中に同室だった人が待合室にいた時に耳に入ってきちゃったそうな)

『う~ん、切っても切っても、切らないかん患者さんがくるねぇ~』

(切っても切っても・・・って私たち患者の腹(はら)のことよねぇ・・・。そう外科医にとっては腹切りなんて日常のことだもんねぇ・・・)

確かに大きな病院は手術しなければいけない患者が小さな医院、クリニックから送り込まれてくるからねぇ。それにしても切っても切ってもとは・・・。

あと2年前に卵巣嚢腫の手術を経験してたが、その時は手術時間40分、腹腔鏡手術で傷は5mmだったし、術後も翌日から腸が動き出し、腹筋できるくらい痛くなかった。この時の入院が1週間ジャスト。今回は10日くらいと言われていた。mhkは卵巣嚢腫の時より3日余分に入院する程度!って認識してたので、わりに入院、手術への不安がなく、のんきだった。ネパール派遣中止、失業への不安はあっても手術は怖くなかったのだ。
→ 腎臓摘出手術=卵巣嚢腫の7日+3日の計算だけで考えていたmhkのこの認識は少しばかり甘かったということが入院ライフの時わかったけどねぇ。

入院前の治療に対する不安がなかった1番の要因は、病院の担当医師、看護師の誠意ある対応だと思う。このことは本当に病院スタッフの方に感謝している。

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