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2007年7月 1日 (日)

メモリアル-腎細胞癌発見16-入院生活 術後6-

前回のメモリアルから2週間以上たってますね。
腎癌発見のタイミングは、もう少し早かったら小さくて、エコー検査でも見つからず、ずっと後だったら癌が大きくなってしまうので、転移もあったかもしれないわけで、癌の早期発見という点では最高によいタイミングでした。

でも、仕事のことを考えると、夢だったネパール2年派遣の研修の2週間前、派遣のために会社を辞めた翌日の癌告知、術後、派遣中止で失業、その後の派遣への応募でも何度も執刀医の診断書の提出を求められたりと、最悪のタイミングでした。

でも、大連短期派遣が実現し、シニア海外派遣も8ヶ月派遣においては健康問題で一次選考で不合格ということもなく、もう腎癌に阻まれるモノはmhkの人生ではなくなった!克服したと思い、今腎癌の告知を受けた人、将来告知を受ける人にとって参考になればと思って自分がどう腎癌発覚から病気と向き合っていったのかの記録を『メモリアル』という形で残そうと思って始めたブログでした。

ちゃんとした病院のちゃんとした医師が診てくれて、ちゃんとした処置をしてもらったら完全に健康体を取り戻せたという記録を残しておこうと思ったのです。

でも、まだ腎癌はmhkを解放してくれないようです。前回の『メモリアル』を書いた段階では完全に過去のモノとして扱ってたmhkですが、まだまだ社会はmhkを『健康体』扱いしてくれません。闘いはまだまだ続きます!

でも、mhkはめげてませんよ。腎癌になったからわかったこともたくさんあったので、mhkは今でも幸せです。腎癌になった経験を持つmhkがまぎれもない『今』のmhkなんですから。

前置きがながくなりましたが・・・始めます。

2005年12月26日(月)
同じ病室に前日退院した女性と入れ違いで新しい方が入院。
病名は2003年7月にした手術と同じで、卵巣嚢腫の手術。組織検査しないと厳密にはわからないけど、ほぼ良性と思われる腫瘍。でも、ご両親、本人も婦人系の病気になったことで、非常に深刻な表情。気の毒なくらい・・。←mhkが手術前のんき過ぎたのかもしれないけど。そういう意味ではmhkは手術に関しては鈍感力パワー全開だったようだ。

翌日抜糸の予定のmhk。お腹の傷は糸でくっつけてなくて、ホッチキスがパチンパチンと打ち込まれているのに、やっぱり抜糸っていうんだなぁって変なトコで感心する。(← いつか日本語学習者に糸じゃなくても抜糸だと教えてやろう~と日本語教師の心がちらり)

先生がドレーンチューブの傷口の消毒にやってくる。消毒が終わって、早速・・・気になるコトを聞いてみる。

mhk  :あの~もう手術から1週間ですよね?組織検査の結果ってまだなんですか?
担当医:まだ来てません。
mhk  :あの、これ、ネパール、カトマンズの病院にある医療機器の一覧なんです。(事前に妹の友人でJICAの医療調整員の経験のある人からカトマンズで一番大きな大学病院の名前の情報をget、そのwebサイトを調べておいたのだ。そこが所有する医療機器の写真が載っているページを印刷して持ってきておいたのだ。)
担当医:(見ながら)え、これ、違うんじゃない?
mhk  :(傷が突っ張って痛いけど急いで起きあがる。消毒されていたから体横たえてたのでね。見ると、自分へのネパール派遣の要請の書類を間違って渡してたみたい。)あ、これ違いますね。こっちです。MRIもCTもエコーの装置もありますよ。
担当医:(見ながら)CTがあるのか。じゃ、いいかなぁ。
mhk  :(先生のそんな一言が嬉しくって仕方ない!)
担当医:組織検査結果が出てからだね。

そう言って、先生は病室を出て行かれた。mhkは小躍りしたい気分!でも、相変わらずお腹がはって、腸の動きは鈍い・・・。お食事はその日の昼から七分がゆになる筈だが、到底無理だと思って、五分がゆをしばらく続けてほしいとお願いした。

さて、実はこの日妹がお産のため、同じ病院の1階上の病室に入院。翌日帝王切開の予定。あ~あ、何も姉妹で同じ病院に入院しなくてもいいのにねぇ・・・。妹が大きなお腹のまま遊びに来た。妹は翌日腹切りである。

姉妹揃ってお腹切られるなんてねぇ・・・。

2005年12月27日(火)
同室の人と妹は手術。mhkは入院時に持参したデジカメをカーディガンのポケットに忍ばせて、4階に行く。ナースステーションにちゃんと断ってね。

行くと妹の連れ合いの義弟(mhkより6歳上なんだけどね)がいた。しばらく待ってたら、手術終わった妹がベッドごと運ばれてきた。産婦人科の執刀医が出てきて、とっても可愛い女の子ですよ。と言ってくれた。

その後は義弟とmhkは新生児室の窓に張り付いて撮影しまくりである。二人ともにたにた馬鹿面ひっさげて、パチリパチリ!

しばらくして、産婦人科医が入ってこられて診察するからと連れて行かれるまで二人とも窓に張り付いていた。

妹の上の子が生まれる時はmhkはオーストラリアのメルボルンにいたので、生まれたての赤ちゃんは初めてである!ラブリー~!!!

診察で連れて行かれたので、mhkも自分の病室に戻った。病室に戻ると組織検査の結果はまだだし、お腹は張っているしで、ため息ばっか。同室の人もベッドごと不在。手術だからね。夕方までは病室はがらんとしてた。

さっき、赤ちゃん見てはしゃぎ過ぎたせいか心がぽっかり。気を取り直し、持参したノートpcにデジカメのデータを入れて、赤ちゃんの顔を眺めていた。

考えてみたら、姉妹揃って入院だなんて珍事だったが、腎癌の手術のための入院の日程に姪の誕生という超めでたいイベントが入ったこと(しかも同じ病院で)で最も救われたのはmhkかもしれない。

腎癌の手術するための入院にデジカメ病院に持ってくる人なんてそうはいないよねぇ~。

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