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2007年7月 4日 (水)

メモリアル-腎細胞癌発見18-入院生活 JICAの顧問医の決定-

2005年12月28日(水)
前日妹の二人目の娘が同じ病院で誕生。
朝一、朝食の後に残りの抜糸終わり。

その日はJICAの御用納めの日。

mhkは翌年の2006年の1月6日から長野の駒ヶ根訓練所で語学訓練などの訓練を受け、3月終わりにネパールに派遣予定だった。

それが、東京での日本語教師技術補完研修を受ける2週間前に腎癌発覚となり、JICAの方に事情を説明していた。とにかく治療が終わらないと何とも言えないとのことだった。

年内に退院でき、訓練参加、ネパール行きもドクターストップをかけるほどではないという主治医のコトバを伝えていたが、組織検査が出た後、主治医の診断書をJICAの健康管理センターに提出するように言われていた。その診断書を見て、判断するとのこと。

mhkも主治医がいくら訓練参加も可能と言ってくれたとはいえ、年末ぎりぎりの退院では1月6日からの訓練参加についてはJICAの健康管理センターが許可するとは思えなかったので、隊次変更を申請するつもりだった。

当時、協力隊は一次隊(7月出発)、二次隊(12月出発)、三次隊(3月出発)に分かれていた。mhkは三次隊のネパール派遣だった。

自分の勝手な都合は認められないが、やむにやまれぬケースは隊次変更が認められることがある。但し、同じ国に行けるとは限らない。

そういうわけで、一次隊か二次隊に変更することを申請できないかと思ったたのだ。隊次変更って、その隊次に決まっている人もいるわけで、それに辞退者がいた場合にはうまくいけば行けるかもしれないという程度かもしれないが、可能性は捨てたくなかったのだ。せっかく受かって、会社も辞めたのだから。

健康管理センターの医療調整員(看護師資格を持つ)にその旨を入院前に伝えておいた。すると、もともと参加予定の訓練が1月6日スタートなので、隊次変更の申請をするにしても、その年の御用納めの日12月28日までに主治医の診断書が必要だと言われていた。

組織検査結果が出るか出ないかわからないので、JICAサイドのこの条件はかなり厳しいものだっだ。

それで、腸が動き出してからというもの、毎日病室に来られる先生に処置の後、組織検査の結果がまだかどうか尋ねていた。そして、結果が出た後、JICAにFAXを送りたいので外出許可を願い出てみた。先生曰わく、病院の総務からFAXは送れるで外出の必要はなしとのことだった。

前の晩はベッドの上でJICAに出すFAXの送り状を何度も何度も推敲して書いた。診断書とともに送るためにである。

抜糸の後売店に新聞を買いに行って、戻ってくると、同室の患者さんのお母さんが、マイクで先生が呼んでましたよと教えてくれた。急いでナースステーションに行くと、看護師さんが先生を呼んでくれた。

ナースステーションで先生の横に座ると、組織検査結果が出たとのことだった。
主治医:組織検査の結果、普通の腎細胞癌でした。特に顔付きの悪い、どんどん増殖するような癌じゃなかったです。
mhk  :はい。
主治医:で、診断書ですが、こう書きました。

『診断書』
氏名:mhk 殿  昭 42年1月24日生
診断名:右腎細胞癌

右腎腫瘍にて、平成17年12月20日 腹腔鏡補助下根治的右腎摘除術施行。組織学的には、腎細胞癌(stageⅠ)の診断。5年再発率は2割以下と低く、若干の腎機能低下はあるが、日常、通常勤務に問題はない。以下余白。

上記の通り診断します。

平成17年12月28日
福岡市・・・・・・・・・・・・・
○○病院
診療科 泌尿器科
○○(先生の名前)

診断書を読ませてもらう。

主治医:これでいい?
mhk  :はい。
主治医:じゃあ、すぐ、これを外に出せるように事務手続きをするからね。あとで看護婦さんに持って行ってもらう。
mhk :はい、ありがとうございました。

あまり待たされないうちに、病室に看護師さんが診断書を持ってきてくれた。そこで、昨日の晩書いたFAXの送り状を出して、JICA健康管理センターのFAX番号のメモとFAXの料金を渡して、送ってもらうようにお願いした。

送り状の文面は以下の通り:
国際協力機構
健康管理センタ~○○様(医療調整員の名前)

11/29(火)の、所属の健康保険の健康診断の腹部エコー検査で異常が見つかり、CT等による精査で腎臓(右側)に腫瘤が見つかった件ですが、12/20(火)に手術し、治療が終わり、添付の診断書によれば、日常生活、通常勤務に問題はないので、H.18年一次隊以降の隊次変更を希望するのですが、ご検討お願いできないでしょうか。よろしくお願い致します。

H.17年度3次隊派遣候補生(ネパール日本語教師)
mhk
○○病院にて
mobile:090-×××

送信したのは午前11:00頃。とりあえず、JICAサイドから言われていた、12月28日までに診断書必着という条件はクリアしたので、翌年の1月4日に業務が始まった後、検討してもらえるだろうと最後の希望をつなぐことができたかなと安堵。

総務にFAXを送信しに行ってくれた看護師さんが戻ってきて、書類一式返してくれた。無事に送信できたとのこと。早速病院のロビーに行って、携帯電話でJICAに連絡。

mhk     :今病院ですが、総務から健康管理センターの方に診断書をFAXしました。
医療調整員:はい、受け取りました。まだ、顧問医師が来られていないので、来られてからになります。でも、癌だと派遣は非常に難しいと思います。
mhk     :はい、1月6日からの訓練参加は主治医の先生は可能だと言われていますが、自分でも、それは避けた方がいいと思っています。ですから、隊次変更の申請をしたいのですが。
医療調整員:隊次変更だと、ネパールに行けるとは限りません。運がよくても別の国になると思います。
mhk     :はい、こちらの勝手な都合なので、それは仕方ないと思っています。
医療調整員:とにかく顧問医が来られてからになりますから。そちらは病院ですが、携帯に電話しても大丈夫ですか。
mhk    :はい。病室で電話できませんが、電話があったことはわかるので、その後でロビーに移動してこちらからかけ直しますから構いません。

組織検査結果がその日の朝、主治医の元に届いた後、主治医が速効で対応してくださって、朝の11:00にはFAX送信完了!あれだけ急がせたJICAの方は・・・顧問医師がまだ出勤していない・・・。何だかちょっと違和感を感じるが、まあ仕方ないかなぁと思う。

相変わらずお腹が張って食欲はないが、お昼もなるべく頑張って食べてみる。しばらく五分がゆが続いていたが、看護師さんから、そろそろ・・・と言われて七分がゆになっていた。

食事中も片時も携帯は離さない。今鳴るか、今鳴るか・・・とじっと見つめていた。

食事が終わって、しばらくして、午後1:00過ぎ 携帯が鳴った。JICAの健康管理センターの番号だ。

病院のロビーに移動。出ると・・・・

医療調整員:やっぱり、今回の派遣は顧問医は許可できないということです。
mhk     :はい、今回無理に派遣して欲しいとは言ってません。隊次変更の申請をしたいのです。
医療調整員:それも・・・青年海外協力隊は2年途上国に行きっぱなしで、途中帰国できないので、次回受けたとしても2年行きっぱなしというのは顧問医は許可できないと言っています。
mhk:でも、カトマンズではJICAのプロジェクトで10年かけて大学病院にCT、MRIなどの医療機器を入れていますし、検査はできるでしょう?(← これも過去現地で医療調整員をやっていた経験を持つ妹の友人を介して情報入手していた)
医療調整員:いくら医療機器があっても、それを見る人が外国だと熟練していないので。
mhk     :(心の中では、JICAが10年もかけて、しかも、膨大なお金を投じてやったプロジェクトが結局は機能していないって自分で言っているわけ???と疑問)
医療調整員:mhkさんは健康診断書見ても、血液検査などの項目は全て基準値に入っていますから、長期の派遣は駄目でも短期の派遣を考えられたらと思います。顧問医も1年だったら派遣可能だんだけどと言っていますし。それと失礼ながら、mhkさんはあと1年とちょっとでシニア海外ボランティアの対象年齢です。シニアだと2年派遣でも途中1年したら健康診断の名目で帰国できますから、それで派遣を考えられたらと思います。そにかく青年海外協力隊の2年派遣は許可できないという顧問医の見解です。
mhk  :(もう、そこまで言われたら涙がとまらなくなっていた。震えながら)わかりました。

これで全て終わった。ネパール派遣へと夢見て会社を辞めたのが2005年11月30日。
前日29日に受けた健診で引っかかり、
翌日12月1日癌告知。
12月20日 右腎摘出手術
12月28日 組織検査結果後、診断書提出、JICA顧問医の決定はネパール派遣も隊次変更も許可できない。

12月28日のJICAの御用納めまでに診断書を提出しないと隊次変更の申請もできないと言われて、先生に無理にお願いして、診断書をかいてもらったのに、その検討もしてもらえなかったんだなぁ~ JICAは検討する気もなかったんじゃないだろうか。

28日までとタイムリミットを設けたわりにはFAX送信した昼前には顧問医は出社しておらず、1:00過ぎに医療調整員が『ようやく出社されました。』と言って電話してきたけど、診断書みるやいなや即許可できないと。

最初から派遣許可しないということは決まってたんだろうな。とにかく、訓練開始の1月6日の前に派遣中止の決め手となる診断書がどうしても欲しかったのだろう。腎癌告知された後、とにかく治療を終えて、ネパール派遣、ネパールが駄目なら隊次変更申請という形で協力隊派遣を実現させよう、の一心で入院生活を乗り切ろうと思ってきたので、その電話を切った後、抜け殻のようになった。

病室に帰って、その日は家族は来ないことになってたし、カーテンを締めて、しばらく声を殺して泣いていた。同室の人が前日に手術を終えていたので、うるさくないように。

今まで気が張っていたで、余計にがたがたとなってしまった。抜糸が終わったばかりだが、まだお腹の傷は少し痛む。ドレーンチューブが入ってたところはまだガーゼをを当てているし。ナースステーションの横のロビーのソファーでお腹を抱えながら電話していた。

本当に悲しかった。

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