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2007年7月12日 (木)

メモリアル-腎細胞癌退院後1-退院直後の家で-

2005年12月29日(木) 無事退院。
両親が妹の上の娘(4歳児)を連れて、迎えに来て、主治医の説明を受けた後、退院、帰宅。
姪と一緒の帰宅。ママと別れるのが辛そうだが、手をつなぐと笑って、我慢してた。その表情に救われたのはmhkの方。

帰宅後、すぐに遊びたがる姪。着替えに自分の部屋に10日ぶりに入る。
入院前にJICAの駒ヶ根訓練所から送られてきた書類が机に積んであるまま。それらの書類を読みながら、英文履歴書などの提出書類を全て送ってから入院したのだ。全て無駄になった。たくさんの書類を眺めながら、涙がにじんでくる。

コートを脱ぎながら喪失感に襲われる。これからどうしよう。不安でいっぱい。病気に負けないでネパール派遣を実現するために闘おうと気が張ってただけに、前日のJICA顧問医の隊次変更申請却下の決定通知は応えたのだ。

着替え終わった頃に姪が呼びにくる。姪もママがいなくて寂しいのだ。構ってもらいたくて仕方ない。姪の相手をしながら、救われているのはmhkの方だった。
毎日姪と遊んで、寝る前はお布団の中で3冊絵本を読んであげて、寝かしつけるのが日課。体力を失うような手術ではなかったが、普段育児をしているわけではないので、結構疲れる。でも、姪の相手に追われている方が気が紛れた。姪が寝るのが毎晩9:00頃。

その後自分の部屋に戻った後の方が辛かった。JICAの関係の書類が溢れている部屋の中。全く整理する気力もない。

なんで、自分が腎癌にならなきゃいけなかったんだろう~。考えても仕方ないことばかり考えていた。健診に行かなければよかったとまで思った。早期発見につながって、無事治療が終わったのだから運がよかったのだということも頭ではわかっているのだが、あと1週間すれば駒ヶ根訓練所に行く筈が、全て駄目になってしまったのだ。

夢見た協力隊派遣がちょうど1ヶ月前の11月29日の健診を受けたことから駄目になってしまった。1ヶ月前には行けると信じて疑わなかったことが一転したのだ。

早期発見でよかったと理解している自分と、その現実を受け入れられない自分が交互に出てきてて、寝るまでの時間随分消耗した。もう少し自分はまともな人間と思ってたのに、そんな情けない、弱い自分にショックも受けた。

夜9:00頃から3,4時間は苦しんだけど、朝起きてからは姪の相手をするため、あんまり余計なことは考えずに済んだ。

両親もmhkが協力隊に行けなくて、がっかりしている心情をよく理解してくれていたようで、そのことには触れないでくれた。その頃、ネパールはゲリラとの抗争が続いており、あまり治安がよくなくて、両親は行って欲しくない気持ちも半分くらいあったと思う。ニュースもよく流れていた。でも、行かなくて、幸いだったとか、危ない所に行くことはないとか、そういう派遣自体に否定的なことは一切言わないでくれた。それを言われるとmhkがとても辛いのだと理解してくれてたようだ。

そんな両親の思いやりを感じながら、姪の相手をて、ずっと家の中で過ごしていた。

実は父は今まで家族がどんなに嫌な顔をしてもタバコを吸っていたのだが、mhkが入院中、突然禁煙してしまった。どうもmhkが腎癌になったことがよほどショックだったようだ。
そのことは入院中、母が見舞いに来た時に話してくれた。
母:お父さんねぇ、タバコやめたみたいよ。
mhk:え?
母:おかあさんもmhkちゃんが病気になって、○○ちゃん(姪)が来たりして、忙しかったから、最初気がつかなかったんだけど、そういえば、灰皿をしばらく洗ってないことに気がついたのよ。お父さん、吸ってないなって。で、『タバコやめたと?』って聞いたら、『うん。』って。
mhk:ふ~ん。

腎癌の原因って医学的にはまだはっきりわかってない。タバコも一要因かもということが言われているらしいけど、まだわかっていない。その類のことをネットで見て、気にしたんだろうか。母も何でやめたのかは何となく聞けないままだったみたい。でも、学生の頃から67歳まで吸ってたし、家族が嫌な顔しても我慢できなかったようで、もう死ぬまで禁煙はできないだろうなって思ってたから母もmhkもびっくり。特に治療に通ったわけでなく、ある日突然やめちゃったのだ。

そして、もう1年半たつけど、今も一切吸っていない。娘が癌を患ったことがよほどショックだったのかな。未だにどうしてやめたのって母もmhkも聞けないでいる。

退院直後毎晩泣いて、考えても仕方ないこと毎日考えて苦しい思いをしたけど、両親のmhkへの思いの深さを肌で感じていたそんな年末、年始だった。mhkは幸せ者だ。情けない、弱い自分に腹を立てていた時も、両親への感謝の気持ちでいっぱいだった。

弱い自分に情けない思いをしたけど、今は思う。人間は弱いのだ。弱くて、転ぶけど、また立ち上がる足を持っている。立ち止まっても、後ろを振り返っても、ゆっくりでも自分の足で歩いていける。

そう考えると弱い自分のことも許せるようになったけど、でも、退院直後のこの時期は自分の弱さにショックを覚え、許せない気持ちでいっぱいで、辛かった。

考えるのは人間の性。考えても仕方ないことを考えて考えて、堂々巡り。無駄なことをたくさんするのが人間だなぁ。今はそう思う。

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