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2007年7月 6日 (金)

メモリアル-腎細胞癌発見20-協力隊が見つけてくれた腎癌 -

2007年12月28日(水)
青年海外協力隊派遣の隊次変更申請却下したという連絡を健康管理センターの医療調整員から聞いて、がっくりきて、その日は随分泣いた。

夕食が終わった後こっそり病院の屋上の階段の所に行って、携帯で前の職場の人に電話した。その人には癌告知される前日にmhkの送別会が終わった後、健診で引っかかって病院に行かないといけないことを告げていたのだ。それ以来連絡してなかったし、心配していると思ったからね。今までの経緯を説明したら、さすがに癌と聞いてびっくりしてたけど、まあ早期発見でよかったと安心していた。その人はmhkよりちょっと上の女性。やっぱり女友達には全てが終わってから告げてよかったなと思った。今から癌で手術する!なんて言ったら過剰反応されただろうし、その過剰反応を見た時に自分がショックを受けるだろうと思った。

屋上は外で真冬で寒くてたまらないから、外には出ないで、屋上につながっている階段にぺったり座り込んで電話してた。電話終わった後もしばらくそこで座っていた。出るのはため息ばかり。ああ~ホントに失業したんだなぁ~。今までも転職したから無職の時もあったけど、全て自分で計画して方向性が決まってから仕事辞めてたので、無職の状態も別に不安じゃなかった。

今回初めて思いがけず、突然無職になっのだ。健診受けたの11月29日、手術が12月20日、青年海外協力隊派遣中止決定が12月28日。何だか悪い夢を見ている気分、階段に座り込んだまま、ぼぉ~っとしていた。

しばらく座ってたけど、検温にやってきた看護師さんが心配するといけないし病院内を一回り散歩して病室に戻ることにした。なるべく動いて、腸の動きを元通りにしたいからね!元通りになって、次の道を考えなきゃ。

歩いていると、なにやら騒がしいぃ~。病院スタッフが段ボールを運んでいる。ああ、そ~か。JICAも御用納めって言ってたけど、この病院も御用納めか。もちろん入院患者もいるし、担当のスタッフもいるけど、通常勤務の人は明日からお休みだねぇ~。

ふと、主治医や看護師さん達の顔が浮かぶ。天皇誕生日の祝日からの三連休も来られていた先生、その三連休にいつも来ていた看護師さんと検温の時に話したことも思い出した。

mhk:大変ですね。なかなか日曜、祝日だからといってお休みできないんですよね。看護師さんは。
看護師さん:そうなんですよ。今年の年末はわたし、日曜も祝日も休みはないんです。友達と遊べないんですよ。
mhk:看護師さんも大変だけど、先生も三連休全部来られていて、大変ですね。
看護師さん:ええ、気になる患者さんがいらっしゃる時は医師はいつも来ます。看護師は医師の指示なしには何も動けないからですね。

その会話を思い出して、1ヶ月足らずで突然環境が激変し、唐突に失業してしまったのだけど、それだけ早期発見だったわけで、mhkの治療に医療スタッフがどれだけ力を尽くしてくれたかを思い出した。

すると、、不意に最初の同室の女性がmhkの癌発覚の経緯を話した時に言った言葉も思い出した。
人のために働こうと思ったから見つかった癌ですね。
最初ぎっくり腰になって、痛み止めを飲んで胃をやられ、ちょっと胃の調子の悪いのが続いたのが心配で受けた健診。ネパール派遣を控えていて、2週間後には東京研修が迫っていたので、胃の調子が悪いのが大したことないことを確かめたくて、受けた健診だった。
協力隊受験の際に受けた健診の項目は全てクリアしてたのだから、特に健診を受ける必要はなかった。腹部エコーの項目は39歳までが対象の協力隊の健診には入っていなかった。(シニアからは入っているが)

研修日程が迫っていなければ、もう少し様子を見てみようと思い、健診を受けはしなかった。受けなかったら、クリニックで間違いも起きず、当初予約していなかった腹部エコー検査をされることもなかったのだ。腎癌はみつからなかっただろう。

結局この健診はネパール派遣が決まったから受けたわけだ。

その話を聞いて、最初の同室の女性が言ったのが『人のために働こうと思ったから見つかった癌ですね。』という言葉だった。

JICAが派遣する青年海外協力隊、mhkがこれに応募しなければ、そして合格しなければ、腎癌はこんなに早期のタイミングで見つからなかった。カトマンズでmhkが働く筈だった学校、会えなかった生徒達。行きたかった、会いたかったけど、でも、行きたい、会いたいという思いから見つかった腎癌だった。そう同室の女性が言ってくれたのだ。

その時はまだまだmhkは混乱していたけど、心のいろんな部分が悲鳴をあげていたけど、協力隊が見つけてくれた腎癌だったんだなぁという思いを噛みしめながら、また目から涙が出てきた。

いろんなコトを考えながら、まだまだ自分の心には整理しきれないモノがたくさんあることを感じながらも、その時、腎癌のせいで行けなくなった協力隊という考えから協力隊が見つけてくれた腎癌という風にも考えられるようになったようだ。

環境の激変で心がついていかない状態はしばらく続いたが、協力隊派遣中止が決定したその日、悲しかったけど、そういう風に考えられるようになったのは、誠意を持って治療をしてくれた先生、看護師さん、家族、同室の女性の温かい言葉のおかげだったろう。

この経験で、感謝しても感謝しきれないほどmhkは失ったモノよりすばらしいモノを得たのだ。但し、しばらくは、なかなか前向きになれなくて、前を向いたり、後ろを向いたり、じたばたしていた。人間はそんなに強くはないものだ。そう実感した。

今は日本中、梅雨で、各地で集中豪雨。福岡も今日は一日中雨。この雨のせいでしょうか、1年半前に流した涙のことがしきりに思い出される。ついこの間、シニア海外ボランティアで、既往症の腎癌が理由でシニア海外ボランティアを一次選考で不合格にされたことも、あの時の辛い気持ちのことを鮮明に思い出させている要因の一つかもしれない。

でも、あの時の経験も全てひっくるめて今のmhkを作っている。そう今は思っている。


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