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2012年2月18日 (土)

乳がんとの闘いその12 病理検査結果はまだ

2012年2月16日(木) 退院後の初めての外科外来受診 この日は8日に受けた手術で切除した腫瘍の病理検査結果の説明があって、それに伴って補助療法を決めることになっていました。

ちょっと、ドキドキです。手術自体は成功したのですが、その後の治療がどのくらい時間がかかるかで、大連に帰れる日が決まるからです。

待合室でもドキドキしながら待ってました。先生に呼ばれて、診察室に入ったら・・・。

まずは、傷を見せるように言われ、寝台に上がり、手術の傷の部分を診てもらいました。(正直なとこ、11日の退院時に綺麗にくっついてた傷だし、どうでもよかったのですけど・・・早く病理検査結果を知りたい!!!)

傷はもちろん問題なく、防水テープをはがしてもらっただけでした。押さえたら痛いけど、重いものも持てるし、傷のツッパリもないしね・・・。

さて、寝台からおりて、椅子に座り、説明を待つmhk。ドキドキ・・・。で、結果はというと・・・。

先生:外注の結果がまだで・・・。
mhk:え!!!

結局、病院内でできる検査内容についてはデータがあるけど、外注に出している検査結果がまだ来ていないので、補助療法を決められないそうです。

ええええええええ!!!じゃ、今日は何のために来たの!!!!テープ剥がすためだけ???結果が来てないなら、午前中に電話して今日の外来診察キャンセルしてくれればいいじゃん!!!病院内でできた検査結果のみを聞かされても、外注検査結果がないと補助療法を決められないなら、意味ないし・・・。単にテープ剥がすために今日交通費使ってきたの????しかも、退院時に手術の傷自体は綺麗に塞がってたから、傷の具合を診る必要もなかったんだし・・・。

はぁ~疲れました。何だか、今まで気持ちが落ち込まないように自分を鼓舞してきたのがガラガラ~と音を立てて落ちていくような・・・。かなり緊張して今日の結果に臨んだ分。

mhk:外注の検査結果はいつ出るんですか?
先生:月曜(←2月20日)くらいには出るって言われたんですけど。
mhk:(なら、何で今日の診察キャンセルにしてくれないの!!!患者の連絡先はカルテに書いてあるんだし、看護師さんに頼めばすぐ連絡つく筈!!!16日の今日外注検査結果出ないの、mhkが来る前にわかってたんじゃん!!!と心で怒りを覚えながら・・・)日本には一時帰国でいるだけなので、大連のアパートに何もかも置いてきてしまっていて、補助療法が放射線治療だけの場合を想定して3月末までということで大学にお願いしているんです。治療がいつまでかかるかわからないと、本当に困るんです。
先生:月曜くらいには結果が出ると思うんですけど・・・。すみません。

外科医のこの先生にとっては、手術が終わって傷がよくなれば、自分の分野じゃないから関係ない・・・って態度でした。

そりゃ、主婦だったり、定年後で、時間が比較的自由になる人の場合は治療にどのくらいかかるかなんて、それほど気にならないかもしれないけど、仕事を持つ現役世代の人間にとっては死活問題です。

だって、いくら体が治っても、仕事を失えば生活できないのですから。

その辺って、この先生には全く興味のないことのようです。そりゃ、大きな病院だから、毎日のように手術がおこなわれていて、検査の件数も多いとは思うから、自分のだけ急げとは言わないけど、せめて、いつ検査結果が病院に届くかくらいは確認してくれてもいいと思うのだけどね。「外注先だから頼めない。」の一点張り。

補助療法が放射線治療だけで済むにしても、平日毎日5週間から、来週スタートしないと3月末まで終わらない…。こちらは、それがとても心配だけど、外科医のこの先生にとっては自分が治療担当する手術が終わって、後は知らないって態度でした。

それと、この先生って、女医さんだからなのか、手術の説明の時も、手術の後に傷を診た際にも、やたら切除した胸の部分を診ながら「ボリュームは少し減りましたけど、あ!でも、傷はあんまり目立たない・・・。」と、やたら傷のことばかり気にされてました。

mhkにとっては、もうそんなことどうでもいいのです。悪性腫瘍が切除されて、傷が閉じさえすればいいのです。それより問題は無事に社会復帰できるかってこと。

多分、女性の多くは美容に関心があるから、傷が目立つかどうかなどのケアが大切と、マニュアルに書いてあるんでしょうね。そういうのって、気になるかどうかをまず診察中に会話して確認したら?って思いました。患者の立場にたった医療なんて最近はやりだからかな?乳がんの治療のマニュアルにでも書いてあるんでしょうね。でも、傷のみかけがどうのなんて、mhkにとって世界で一番興味のない分野です。関心は、仕事ができるかってことと、鳥撮りできる体力があるかってことだけ~。手術では体力は失わなかったので、退院翌日に鳥撮りできたし、問題ないけど、仕事に関しては不安です。

6年前の腎がんの時を思い出します。ちょうどがん告知をされた前日に仕事を辞めていた(翌年に青年海外協力隊でネパール派遣が決まってたので)mhkは、腎がんが理由でネパール派遣が中止になり、その後仕事を見つけないといけなくなったわけ。

でも、治療が終わっても青年海外協力隊派遣は許可できない、新しく受け直しても協力隊派遣は許可できないとJICA顧問医師に言われ、がんによって健康は失われなかったけど、希望の仕事をする望みは絶たれました。半年雇用保険をもらって就職活動していたけど、たまたま短期派遣の協力隊派遣があったので、それに応募して合格し、5か月大連に派遣されました。派遣中に40歳になり、シニアボランティアの対象年齢になりました。

大連から帰国後に気は進まなかったけど、派遣登録して営業事務の仕事をしながらJICAシニアボランティアに応募しようと決めていました。でも、シニアボランティアの一次選考は「腎がんの既往症を理由に健康問題で一次選考不合格」が続きました。

これって、今現在健康でも「腎がん」だった過去によって拒否されるので、自分ではどうしようもないんですよ。がん患者は、早期のガンで治療が完了して完全な健康体になっても、現役世代だと、このような差別に悩まされます。

派遣登録をした時も「健康に問題はないですね?」と念を押されました。その時、腎がんを患ったことはお話しせずにいました。そうしないと健康に問題ないけど、がんだった過去によって仕事に就けない可能性もあったからです。

ガンという病気は、早期でもこのような差別が理由で患って完治後も現役世代は苦しむことになります。

腎がんの時も結局JICAが派遣を許可したのは術後3年経った後でした。(ブラジルへの派遣)今回は、大連の大学に所属している時に乳がんが発覚。外科手術後のスケジュールを早く知らないと、大学に対しても連絡ができないのです。

そして、もし、大学での仕事を続けられなくなったら、また仕事を探さないといけません。腎がんの時も3年間は希望の仕事に就けませんでした。治療自体は終わったのに。

今回2度目のガンです。腎がんの時はそういう差別に悩まされながらも、泌尿器科の主治医の先生がとても協力的で、応募する度に診断書をお願いしたら快く書いてくださいました。結局許可は出なかったけど、入院中にJICAに提出する診断書のことにも相談にのっていただいたので、社会復帰する上でも心強い味方でした。

でも、今回は、今住んでいる場所が大連で、何もかも大連のアパートに置いてきて、今実家にいるのは一時的なことなのだと説明しても、この先生は無関心です。外注だから(納期を)聞けないの一点張り。患者の社会復帰には関心がなく、多数の乳がんの患者が気にする美容外科的な説明に終始する・・・・。医療は患者個人個人で違うだろうに、マニュアルに書いてあるだろう平均的なことで全ての対応をされているようにしか見えません。

16日の外来診察の後、この2,3日ちょっと憂鬱でした。マニュアル医者・・・いるんですね。まぁ5年目のお医者さんなんて、このレベルなのかも・・・。患者一人一人の立場なんて考えはまだまだ考えられないんでしょうね。だって、1月19日に初めて組織診した際の採取でちゃんとシコリのど真ん中を採取できてれば、1月26日にはシコリの正体が悪性のガンだって判明してたのです。これ、失敗したから、この後の診断がつかず、2月2日まで乳がんの確定診断がつかなかったのですから。26日に診断が確定してれば、もうちょっと早い時期に大学側に連絡できたのに!

1月30日に再検した際にはこの先生、採取するのが不安だったみたいで、乳腺外科部長まで出てきて、採取してもらい、2月2日にその結果が出たわけです。

お世話になっているし、このことはあんまり考えずにおこうと思っていたけど、この日の外来診察の誠意のなさで、なんだかもうこの先生に対する不信感でいっぱいになっちゃいました。

とりあえず、外注検査が2月20日(月)に出て、21日の外来診察で今後の補助治療の方針が全て決まるといいなと思います。補助治療に関しては放射線科医の領域になるし、外科の先生との付き合いはそれほど多くないだろうし、気持ちを切り替えないとね・・・。

もし、医師を目指している人がいるのなら、がんという病気は、早期であれば完治することも多く、病気自体は恐怖でもなんでもなくなっているくらい、医療技術は発達しているのですが、がん患者に対する差別がなくならない限り、がんという病気に対する恐怖は消えないのだと理解してほしいです。

リタイア後の患者さんにとっては、病気との闘いのみですが、現役世代にとっては「がんという病気を患った過去」が今後の人生に重くのしかかってくるのですから、それに対して付き合う覚悟がないようなら医師にはなるべきではないと思います。

2度目のガンは、がんという病気に対する恐怖はないけど、仕事ができるかできないか(体力はあるのだけど、健康体だと認めてもらえない場合がある)とても不安です。

医療技術が発達しても、「人と同じがよい」という日本の文化背景ではがん患者だったという過去は重いわけです。

腎がんの時にそれを身を持って思い知らされたmhkにとって、この病理検査結果を待つ間は辛いです。

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